海上保安庁発足70周年
真ん中の白いお座席にこの後、天皇皇后両陛下が着席された
真ん中の白いお座席にこの後、天皇皇后両陛下が着席された

「海上保安制度創設70周年記念式典」が6月4日天皇皇后両陛下ご臨席のもと、パレスホテルで開かれた。安倍総理と衆参議長、最高裁長官が祝辞を述べた。私は10年前の60周年式典の時には国土交通副大臣として壇上にいた。また、その年には、観閲式の観閲官として最大規模の巡視船「しきしま」に乗ったことを懐かしく思い出した。

海上保安庁の歴史を語る写真展を見学
海上保安庁の歴史を語る写真展を見学

敗戦後の日本は、沿岸警備能力がないまま不法入国や密輸などに苦しんでいた。昭和23年5月、海上保安庁が創設されたがGHQの意向により旧日本海軍の残存した少数の小さな舟艇だけによる厳しいスタートとなった。

朝鮮戦争の際には、そうした勢力で連合軍の指揮下に入り、朝鮮海峡湾の機雷除去にあたる危険な仕事にも従事、また昭和27年1月から突如として韓国が実施した「李承晩ライン」により日本の漁船が拿捕されるのを防ぐため、警備にあたった。

青函連絡船「洞爺丸」沈没の際、転覆した船体の引揚げ作業
青函連絡船「洞爺丸」沈没の際、転覆した船体の引揚げ作業
昭和31年、巡視船「宗谷」が南極観測業務を開始
昭和31年、巡視船「宗谷」が南極観測業務を開始

昭和29年9月には、台風により転覆した青函連絡船「洞爺丸」の引き揚げに当たった。

昭和31年11月はじめて南極観測に向かった「宗谷」は海上保安庁の巡視船だった。

平成に入ると2001年12月には九州南西海域で不審船を追跡、自沈した船は日本の漁船を装った北朝鮮のもので、横浜の海上保安資料館に展示されている。

東日本大震災で、大量の海上浮遊物をかき分けて行方不明者を捜索する潜水土
東日本大震災で、大量の海上浮遊物をかき分けて行方不明者を捜索する潜水土

東日本大震災発生時には大量の海上浮遊物(地震で崩壊した家屋が津波で海に流出した木材などのガレキ)をかき分けて潜水士たちが行方不明者の捜索にあたった。木材に付いている釘で潜水服が破れることも多かったという。

2015年4月には天皇皇后両陛下がパラオ共和国を戦地巡礼のため訪問された際、日本から派遣された巡視船「あきつしま」(「しきしま」と同型)にご宿泊され、激戦地ベリリュー島に海上保安庁の飛行機で到着された。

九州南西海域で不審船(北朝鮮船)を追跡
九州南西海域で不審船(北朝鮮船)を追跡

一昨年2月には大型巡視船14隻による「尖閣領海警備専従体制」を確立し、石垣港に専用桟橋を設けた。海上保安庁の人員増や巡視船を増やすため、財政面など、私も自民党内で尽力した。

式典には国会議員代表のほか、在日大使などの外交団、さらに海上保安庁の現職幹部(白い制服)とOBが出席した。

両陛下の入退場の際には海上保安庁の音楽隊が演奏を行った。

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