祝ノーベル賞受賞、吉野さんーー取材相手で高校の先輩
                       


ノーベル化学賞が決まった旭化成の吉野彰さんは、私にとって昔の取材相手であり、大阪府立北野高校の先輩でもある。本当に嬉しい。私は落選中にTOKYO  MXで企画番組「みどりのビタミンBIZ 」のキャスターを務め、2010年12月に「リチウムイオン電池誕生の物語」という番組を放送したのだ。

「将来、ノーベル賞をとる可能性、価値がある研究者」と吉野さんを旭化成の知人から紹介された。当時の肩書きは旭化成フェロー。今から9年前のことだ。フェローとは研究開発のトップを上回る、神様的な存在のようだった。

 

取材のため旭化成ケミカルズ川崎製造所を訪れると、「私、高校の先輩ですよ」と吉野さんに自己紹介された。9年先輩に当たる。

番組を見直すと、私は冒頭で、この年、鈴木章氏と根岸英一氏がノーベル化学賞を受賞したことに触れた後、「1985年、この場所からノーベル賞クラスの発明が生まれました」とリチウムイオン電池の誕生を語っている。ノーベル賞が現実のものとなったのだから、私も興奮せずにはいられない。

もっとも、この番組の時点では「今や携帯電話、デジカメ、ノート型パソコンになくてはならないリチウムイオン電池」という紹介の仕方で、まだスマホは話題になっていない。

吉野さんの研究、開発談で私が興味を持って対談したのは、旭化成という総合化学メーカーにいたからこそ有利だった点と、一方、彼の研究室は意外に小さな所帯で研究費も節約(けちる努力)した点。

カーボンを塗った電極を作るのに、どんなカーボンがよいか悩んでいたところ、宮崎県延岡市にあった繊維グループの研究所で研究していた非常に特殊なカーボンファイバーが「とびきりよかった」という。「社内で開発段階の物は絶対、社内でないと手に入らないわけです。いろんな分野で広い研究があると、つながる」と話されたのに、納得した。

また、安全性テストも、吉野さんの研究室があった川崎では無理だった。工業地帯の真ん中で危険だったから。旭化成は延岡市にダイナマイト工場を持っており、ここの試験場で安全性テストを行った。

私と旭化成の縁は、新聞記者としての初任地が宮崎であったこと、さらに東京の経済部で化学業界を1年半担当したことによる。

川崎で、吉野さんの研究に延岡が大きく寄与したことを聞き、嬉しかった。(ちなみに、マラソンの宗兄弟も延岡である)

カーボンを薄いアルミ箔(クッキングホイルと同じ15ミクロン)に皺にならずに塗る実験のために塗工機を買うには五千万円くらいかかる。そこで同じ仕組みのガムテープ工場の空き時間に機械を借りりことにし、埼玉や栃木に材料を持って通ったという。「毎日、出稼ぎみたいですね」と私。「実験ってそんなものですよ」と吉野さん。

また、実験が初めて成功した瞬間の話になった時、私が「研究室みんなで集まって感動したんですか?」と尋ねると、にっこり頷いて「3人ですけど」。

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