国立公文書館で開催中の特別展「行幸-近現代の皇室と国民-」を8日、見に行った。
明治、大正、昭和、平成、令和の行幸(天皇の国内外への外出)の絵や写真、文書を展示している。
上皇上皇后両陛下が6日、秋篠宮皇嗣同妃両殿下が7日御訪問され、熱心にご覧になったという。
江戸時代の天皇は、ほとんど、京都御所を出ることはなかった。
明治天皇は、慶応4年(1868)、戊辰戦争の指揮をとる名目で大阪行幸。
そして江戸城開城後、元号が明治となり、天皇は東京に行幸された。そのまま残ったのではなく、一度京都に戻られた(還幸)後、再び東京へ。東京が都となったのだ。
私が最も感銘を受けたのは、昭和天皇が昭和20年3月10日の東京大空襲から間もない18日に下町の被害状況視察のため、富岡八幡宮(江東区)を訪れた帰路のルート。
私の選挙区である墨田区の「錦糸町を経て押上三菱銀行押上支店跡角、左へ駒形橋を渡り、(台東区の)田原町、稲荷町を経て上野駅前」という具合に、身近な地名ばかり登場したことだ。
三菱銀行は今も同地で営業しているが、空襲で焼かれ、「跡」という表現になったのだろう。
昭和天皇は一面の焼け野原を目にされ、それが終戦の決断(軍部を相手にした、強固な意志)につながったのだろうと思う。
一方、上皇陛下が特に関心を示されたのは、明治11年の北陸・東海御巡幸(72日間に及んだ!)だったと公文書館関係者から聞いた。(鉄道もない時代に)どうやって行ったのか、どこに泊まったのか、巡幸の道筋を示した地図を眺めながら、気にされたという。明治天皇は馬車で行かれたそうだ。
なお、上皇上皇后両陛下が公文書館に来られた時には、ちょうど高齢者のグループがいて、驚きの歓喜の声があがったという。
上皇陛下は「譲位したら、自由にあちらこちら行きたい」旨の発言をされていたが、私は、それが実現したのだと推察し、うれしかった。(もちろん、天皇時代の公務でもおかしくないところだが)
戦前までの近現代史が専攻の私にとって、同展は知識を確認したり、追加したりする意味で重要だった。
明治初期の巡幸は、天皇が各地域の暮らしを知ることに加え、幕政から天皇親政に移行したことを国民に見せつける意味があった。
また、内国勧業博覧会や先端技術の横須賀造船所視察などで、殖産興業の政策をアピールした。
同時に、陸海軍の最高指揮官として陸軍特別大演習や軍の学校に行幸され、富国強兵政策を示した。
陸軍特別大演習のための行幸は明治25年(日清戦争の2年前)に栃木県に行幸されたのが最初で、昭和11年、北海道に行幸されたのが最後だった。日中戦争から第二次世界大戦、国家総動員体制の確立などで、天皇が東京を長期間、離れることが困難になったのだ。
(※写真は国立公文書館ホームページより)

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