尾久消防団、女性比率の高さ

19日、尾久消防団(荒川区)の操法審査会を見学、女性団員の活躍ぶりや女性比率の高さ(4人に1人!)に感心した。

6つの分団が、ホースをつなぎ、ポンプで水をくみ上げて消火のスピードを競うが、準優勝の第四分団と、第三分団の指揮者が女性。第三分団は選手5人のうち3人が女性で補欠も女性。大会で敢闘賞を受けた3人の中にも女性選手がいた。

尾久消防団は団員160人中、女性が42人。4人に1人強を占める。全国でもトップクラスだろう。 …続きを読む

ブエノスアイレス日亜学院(幼小中高)を視察

 アルゼンチンを4月末訪問し、首都ブエノスアイレスで幼稚園、小中高校がある私立の日亜学院を視察した。

公用語であるスペイン語と日本語、英語で授業を行うトリリンガル校。幼稚園187人、小学校340人、中高135人。中高生の7割は非日系人だが、柔道部があるほか、JICAのシニアボランティアが剣道を教えている。幼稚園児が「こいのぼり」や「どんぐりころころ」を日本語で歌うのがかわいかった。

 日系移民の子供たちのための日本語教習所として1927年に発足し、戦時中は閉鎖に追い込まれましたが、戦後、復活。1983年にブエノスアイレス市の認可校となり、近年、掃除や給食当番など日本式の教育への評価も高く、非日系人が増えてきた。 …続きを読む

チリで防災協力について長官と会談
中央左がトロ長官。右端は平井チリ大使
中央左がトロ長官。右端は平井チリ大使

5月初め、南米のチリを訪問。国家緊急対策庁のリカルド・トロ・タサラ長官と、地震や津波などの防災協力について会談した。

日本が防災技術をチリに教え、チリが中南米諸国の専門人財を育成する、という三角協力を両国が費用負担して行っている。同庁の早期警報センターや、日本が寄贈した中古起震車も視察した。太平洋を挟んで、日本と正反対の位置にあるチリは中南米で最も早くOECD入りした、経済力のある治安のよい国。昨年ODAを卒業した。日本と同様、火山も多く、地震国。日本で地震があれば太平洋をはさんだチリで津波のおそれがあり、また、チリの地震が日本に津波を招くという位置関係にある。東日本大震災の前年にはチリ中部沿岸でマグニチュード8.5の地震が発生している。 …続きを読む

尽力実り、インドネシアに4番目の日本人学校が開校
校舎正門
校舎正門

インドネシアから朗報。日本企業が数多く進出する工業地帯チカランに4番目の日本人学校(小中学校)が4月に開校し、52人が入学・転入した。私も尽力した1人。

一昨年夏、同国を訪問、チカランにあるトヨタの工場見学をした際、ジャカルタ市内から渋滞のひどい高速道路(70キロ)で2時間半かかった。同社を初め、製造業の駐在員の方々から「家族連れで赴任しても、日本人学校があるジャカルタ市内に住まざるを得ず、往復で5時間以上かかるので、平日は子供と話す時間もない。」とか、「単身赴任を選んだり、あるいは、平日は工場近くの単身アパートに住み、週末だけジャカルタ市内で家族と同居というケースもある」などと悩みを訴えられ、「ぜひ、チカランに日本人学校を」と強い要望を受けた。 …続きを読む

墨田区長選、墨田、荒川区議選始まる

14日から墨田区の区長選挙と、墨田、荒川両区議選が始まった。
墨田区長選挙は2期目を目指す山本とおるさんが自民党、公明党などの推薦。
墨田区議会と荒川区議会はいずれも定数32に対し、13人の自民党公認候補が立候補した。
全員の当選を目指して、私もこの一週間、戦い抜く。

自由民主4月16日号に「『日・UAEの懸け橋に』松島広報本部長が高校留学生を激励」という記事が掲載されました。

アラブ首長国連邦(UAE)の首都にあるアブダビ日本人学校には多くのUAE国民が通っており、昨年から出身者が東海大学付属高輪台高校に留学している。私は、スーパーサイエンスハイスクールクラスの1・2年生の4人を激励した。

経済産業副大臣在任中の2013年に、同日本人学校の視察を行った経験もある。

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自由民主4月16日号

三原じゅん子女性局長と対談した内容が「自由民主」4月9日号に掲載されました。

児童虐待防止をテーマに、三原じゅん子女性局長と対談した内容が「自由民主」4月9日号に掲載されました。

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「自由民主」4月9 日号

尊敬する北里柴三郎が千円札に

新紙幣のうち千円札に最も関心がある。尊敬する北里柴三郎に、我が地元墨田区に生きた葛飾北斎の浮世絵「神奈川沖浪裏」(かながわおき なみうら)。

明治から昭和初期にかけての細菌学者、北里柴三郎はドイツのコッホ研究所で破傷風血清療法を確立するなど実績をあげ、世界的に注目を浴びたのち、英米の大学や病院から破格の高給でスカウトされたが断り、結核など日本の伝染病をなくそうと帰国した。英国は、コッホ研究所、パスツール研究所(仏)に対抗して、「ケンブリッジ大学に細菌学研究所を新設する。その所長になってもらいたい」と北里を誘う熱心さだった。

ところが、帰国後は、文部省・東京帝大と対立し、しばらくは無職に近い状態だった。福沢諭吉が土地を提供するなど支援し、伝染病研究所(現在の東大医科学研究所)を設立。慶応大学医学部を創設し、日本医師会の生みの親でもある。

野口英世は、この伝染病研究所に在籍した後、米国に留学した。千円札では、野口英世が先だったが、実際は、野口が北里の弟子である。

北里柴三郎は第一回ノーベル生理医学賞(1901年)の候補に上がったが、残念ながら、ドイツ人の共同研究者だけが受賞した。 …続きを読む

応援した宮崎女性県議、1位と2位で当選

私が選挙応援に行った宮崎県で、自民党初の女性県議が1位、2位で当選した。延岡市(定数5)で、内田理佐さん(45)が1位当選。2位に大きく差をつけた。延岡で女性が立候補するのは全く初めて。宮崎市(定数12)では脇谷のりこさん(61)が2位。1位に僅差だった。宮崎市では野党女性現職ふたりも下位当選した。

宮崎は朝日新聞記者だった私の初任地。当時は県議会議場で女性は私だけだった。

今回、週末、3泊4日で手弁当で出かけ、計15時間、宣伝カーに同乗したり、街頭演説をしたりした。

                                             

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