印象的だった遺族代表の言葉、雨の戦没者追悼式で

15日、全国戦没者追悼式に出席した。終戦記念日が雨だったのは珍しい。
遺族代表の83歳の男性が「日本の戦後の繁栄は、天皇陛下と、日本のために戦争で亡くなった人たちのおかげです」と言い切った。
公の場面で「天皇陛下のおかげ」という表現は珍しい。そのあと、「内外の地で慰霊を続けられ、そのことはわれわれ遺族にとって無上の励ましでありました」と言葉を継いだ。すとんと心に落ちた。 昨年8月8日、天皇陛下が自らご生前の退位について国民に語りかけられた時、私を含む多くの人が納得できたのは、陛下が被災地の人たちに寄り添ってこられたこととともに、ご高齢になられても、海外や沖縄の戦地を訪れ、時には海上保安庁の巡視船に宿泊されるなど厳しい条件下で、日本人と敵軍双方の慰霊の旅を重ねられてきたことへの敬意があるからだったと思う。
遺族代表の方のお父さんは昭和20年春、ラバウルの航空隊の病院で戦病死されたという。「遺族の戦後は本当に悲惨なものでした。母は、父の死を信じませんでした。終戦後、父の戦友を訪ねて全国を回り、同じ病院にいたという人から話を聞いて、やっと納得しました。それからの母は子どもを育てるために死物狂いで働きました。心から母に感謝をしています」いい言葉だった。武道館で6200人の前で語ったこの言葉は、お母様への何よりのねぎらい、恩返しになっただろう。

新設された「監護者わいせつ罪」で7歳児の父逮捕

7歳の娘に自宅でわいせつな行為をしたとして、静岡県内の27歳の父が11日に逮捕されたという小さな記事を朝日新聞で見た。

私が法務大臣の時に推進した「性犯罪の厳罰化のための刑法改正」が先の国会で成立、7月13日に施行されたが、同法で新設された「監護者わいせつ罪」の適用である。

あってはならない犯罪が起きたこと自体は辛いが、私が大臣に就任するまで長年動かなかった法律が改正され、その成果がすぐに現れたことに、政治家として1つの責任を果たせたという気持ちだ。

監護者わいせつ罪は、親など同居して生活を支える者がその影響力を利用し、18歳未満を対象に行ったわいせつ行為を、暴行や脅迫が伴わなくても犯罪とする。  …続きを読む

聖火とマラソンの「聖地」をギリシャで訪ねた

3年後の今頃は東京オリンピック真っ最中だ。
近代オリンピック発祥の地、ギリシャを7月に訪問。アテネ市の競技場(2004年のアテネオリンピックで野口みずき選手が金メダルを獲得)や、マラソン競技の起源となったマラトン市を訪ね、プシナキス市長からは「マラソン大使」のメダルを贈られた。

写真①

写真①は野口選手が1位でゴールした競技場で、観覧席は大理石で出来ている。雲1つない39℃の灼熱の太陽が肌を刺すのが痛い。係りの女性(右)から説明を聴く。(写真②)

写真②

聖火は古代オリンピック発祥の地・オリンピアで採火されたのち、ギリシャ各地をまわり、この競技場を最後に2020年春頃、日本に向かう予定という。 …続きを読む

ドジョウつかみ大会

30日(日)、荒川区の日暮里駅近くの諏訪台中学校第二校庭で東日暮里六丁目本町会主催のドジョウつかみ大会があった。消防団がホースで囲いを作りその中に放水し泳いでいるドジョウをつかむもので、曇り空ではあったが、多くの子どもたちで賑わった。

この日は荒川墨田の縁日4箇所、盆踊り3箇所へ行き夏の1日を楽しんだ。

ギリシャで大臣に大阪万博の支持を要請

7月中旬、ギリシャを訪問し、経済・開発省でパパディミトリウ大臣と会見。日本政府が誘致活動を行っている2025大阪万博をアピールした。
岸田外務大臣、世耕経済産業大臣連名の支持要請書を手渡した。さらに、現在カザフスタンの首都アスタナで開かれている万博のナショナルデーが日本とギリシャが1日違いのため、アスタナでの世耕大臣との面会も取り付けた。 …続きを読む

遺骨引渡し式に党代表として参列

ロシアのハバロフスク地方とアムール州に派遣された「旧ソ連抑留中死亡者遺骨収集団」が帰国し、ご遺骨の引渡し式が19日、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で行われた。自民党代表として参列し、献花した。

55人の御遺骨が持ち帰られた。第二次世界大戦が終わった後にソ連軍に連れて行かれ、強制労働に従事させられ寒さと飢えと病気で苦しみながら亡くなった人たちのことを思った。 …続きを読む

夏の始まり、ラジオ体操

17日(月)海の日、荒川区ラジオ体操中央大会が荒川公園(区役所公園)で開かれ、参加した。

625分から、ラジオ放送に合わせてみんなの体操、ラジオ体操第一体操、第二体操をした。

休憩後、牛乳で乾杯、あんぱんをもらった。

荒川区内には年中無休のラジオ体操会場が22もあり、高齢者を中心に熱心。

墨田区の言問小(向島地域)、横川小(本所地域)で行われる中央大会にも参加予定だ。 …続きを読む

政治家松島みどりの生みの親、与謝野馨先生

元衆議院議員、与謝野馨先生の「お別れの会」が本日7月5日、青山葬儀所で開かれた。自民党と与謝野家の合同。4月末に、病床の先生の強い希望がかなって復党が認められ、本当によかった。与謝野さんの声かけと尽力がなかったら、政治家松島みどりは誕生していない。

自民党が初めて野党になり細川8党連立内閣が誕生して約半年後、小選挙区制度が導入されることになった。東京は一挙に選挙区が25に増え、候補者が足りない状況だった。私は朝日新聞の政治部の記者、与謝野先生は当時、都連幹事長だったが、直接の面識はなかった。大好きな与謝野晶子の孫(私は高校時代、二時間にわたり晶子の研究を発表したことがある)で東大野球部マネジャー出身(私はずっと後輩の応援部)という認識しかなかった。全国的にも新人候補が足りず、亀井静香先生など複数の議員にも声をかけられた。故塚原俊平元通産大臣に与謝野さんを紹介され、私を認めてくださり、自民党初の公募を実施するから受けてほしいと言われた。

作文と面接に通り、選挙を目指す立場になることが決まった。36歳から37歳にかけてのことである。選挙区は墨田、荒川の東京14区を選んだ。自社さ連立政権で与党に復帰後、与謝野先生は忙しい公務の間を縫って、荒川区や墨田区の区議会控室に足を運んでくださった。「松島さんは私以上に経済界に顔が広い」とか「資金については心配しないでください」とか大風呂敷を広げて区議らを説得してくださった。 …続きを読む

東京都議会議員選挙始まる

今日6月23日(金)、9日間にわたる東京都議会議員選挙が告示された。

地元、墨田区と荒川区の3名の自民党公認候補の出陣式が行われた。

東京都議会議員選挙は、6月23日(金)告示、7月2日(日)投開票。

 

                                             

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