税理士による松島みどり後援会

地元の墨田区、荒川区、台東区の税理士会(本所税理士会、向島税理士会、荒川税理士会、浅草税理士会、上野税理士会)の先生方による松島みどり後援会が発足し、6月7日、衆議院第一議員会館で設立総会を開催した。

日頃より先生方には政治活動をご支援していただいているが、選挙区で一体となった後援会を設立していただくこととなり、ありがたい気持ちでいっぱいだ。

当選以来、中小・小規模事業者対策を推進してきた私にとって、経営者が頼りとする税理士の皆さんに応援していただけることは本当にうれしい。 …続きを読む

無戸籍者ゼロ、性犯罪被害者支援、外国人の在留管理強化など司法制度調査会で提言
上川法務大臣
上川法務大臣

自民党司法制度調査会(松島みどり会長)として提言(6項目)をまとめ、5日、党政調で承認された。

 

 

提言概要→https://www.jimin.jp/news/policy/137498.html

「法律は人を幸せにすべきもの」との信念に基づき、

①無戸籍者問題
②性犯罪への対応
③成年後見制度

を取り上げた。

さらに、左藤章衆議院議員を座長とした「国際化に対応した法務行政推進プロジェクトチーム」で、

④在留管理基盤の強化
⑤法制度整備支援
⑥国際仲裁

を扱った。 …続きを読む

海上保安庁発足70周年
真ん中の白いお座席にこの後、天皇皇后両陛下が着席された
真ん中の白いお座席にこの後、天皇皇后両陛下が着席された

「海上保安制度創設70周年記念式典」が6月4日天皇皇后両陛下ご臨席のもと、パレスホテルで開かれた。安倍総理と衆参議長、最高裁長官が祝辞を述べた。私は10年前の60周年式典の時には国土交通副大臣として壇上にいた。また、その年には、観閲式の観閲官として最大規模の巡視船「しきしま」に乗ったことを懐かしく思い出した。

海上保安庁の歴史を語る写真展を見学
海上保安庁の歴史を語る写真展を見学

敗戦後の日本は、沿岸警備能力がないまま不法入国や密輸などに苦しんでいた。昭和23年5月、海上保安庁が創設されたがGHQの意向により旧日本海軍の残存した少数の小さな舟艇だけによる厳しいスタートとなった。

朝鮮戦争の際には、そうした勢力で連合軍の指揮下に入り、朝鮮海峡湾の機雷除去にあたる危険な仕事にも従事、また昭和27年1月から突如として韓国が実施した「李承晩ライン」により日本の漁船が拿捕されるのを防ぐため、警備にあたった。

青函連絡船「洞爺丸」沈没の際、転覆した船体の引揚げ作業
青函連絡船「洞爺丸」沈没の際、転覆した船体の引揚げ作業
昭和31年、巡視船「宗谷」が南極観測業務を開始
昭和31年、巡視船「宗谷」が南極観測業務を開始

昭和29年9月には、台風により転覆した青函連絡船「洞爺丸」の引き揚げに当たった。

昭和31年11月はじめて南極観測に向かった「宗谷」は海上保安庁の巡視船だった。

平成に入ると2001年12月には九州南西海域で不審船を追跡、自沈した船は日本の漁船を装った北朝鮮のもので、横浜の海上保安資料館に展示されている。

東日本大震災で、大量の海上浮遊物をかき分けて行方不明者を捜索する潜水土
東日本大震災で、大量の海上浮遊物をかき分けて行方不明者を捜索する潜水土

東日本大震災発生時には大量の海上浮遊物(地震で崩壊した家屋が津波で海に流出した木材などのガレキ)をかき分けて潜水士たちが行方不明者の捜索にあたった。木材に付いている釘で潜水服が破れることも多かったという。

2015年4月には天皇皇后両陛下がパラオ共和国を戦地巡礼のため訪問された際、日本から派遣された巡視船「あきつしま」(「しきしま」と同型)にご宿泊され、激戦地ベリリュー島に海上保安庁の飛行機で到着された。

九州南西海域で不審船(北朝鮮船)を追跡
九州南西海域で不審船(北朝鮮船)を追跡

一昨年2月には大型巡視船14隻による「尖閣領海警備専従体制」を確立し、石垣港に専用桟橋を設けた。海上保安庁の人員増や巡視船を増やすため、財政面など、私も自民党内で尽力した。

式典には国会議員代表のほか、在日大使などの外交団、さらに海上保安庁の現職幹部(白い制服)とOBが出席した。

両陛下の入退場の際には海上保安庁の音楽隊が演奏を行った。

25年表彰と公募第一号の私

5月22日、安倍総理をはじめ13人の先輩たちが、永年勤続表彰を受けられた。

自民党の林幹雄氏、山本公一氏、鴨下一郎氏、 塩崎恭久氏、安倍晋三氏、浜田靖一氏、茂木敏充氏、岸田文雄氏、野田聖子氏(年齢順)、国民民主党の前原誠司氏、無所属の玄葉光一郎氏、共産党の志位和夫氏、穀田恵二氏。この時ばかりは与野党関係なく、議場の誰もが13人すべてに心からの拍手を送った。(と思う。)

25年間議員であり続けた、特にこの先輩たちは中選挙区最後の選挙で国政入りし、その後9回当選し続けてきたのだ。尊敬せずにはいられない。林自民党幹事長代理が年長ゆえに謝辞を読んだ。

彼・彼女らが初当選した平成5年夏、私は朝日新聞の政治記者として、宮沢内閣の不信任案可決、衆議院解散、その後の8党の細川連立政権内閣が誕生する過程を追っていた。この時、自民党は断トツの第一党だったにもかかわらず、連立政権の組み立てに失敗し、初めて野党に転落した。2009年夏の選挙で麻生総理のもと自民党が惨敗して(私も落選して)野党になったのとはまったく状況が違った。 …続きを読む

気候変動適応法、衆議院を通過

今国会の重要法案の一つである気候変動適応法案が、5月22日、衆議院本会議を通過した。私は環境委員長として登壇し、委員会における審査の経過と結果を報告した。

近年、高温による米や果実の品質低下、魚種の変化、大雨の頻発化に伴う水害・土砂災害・山地災害の増加、熱中症搬送車の増加や感染症拡大への懸念など、気候変動の影響が全国各地で起きており、さらに今後、長期にわたり拡大するおそれがある。 …続きを読む

軍都、佐世保で心にしみた女性たちの話

佐世保で特に心に残った、女性の物語の舞台が3つあった。鎮守府(現 海上自衛隊佐世保地方総監部)内に、昭和17年(1942年)に建造された、地下2階、総面積700㎡の地下壕の防空指揮所と、海軍墓地と、浦頭(うらがしら)引揚記念館。

防空指揮所には女学校に通う16、17歳くらいの少女たちもいた。主に各地、各艦からの情報を上官に伝達する役割だったようだ。 …続きを読む

海軍の町、佐世保を訪ねて

 明治150年、ことしの連休のテーマは日露戦争の勝利を決定づけた日本海海戦にした。
長崎県の対馬市と佐世保市を訪ねた。

佐世保は、明治政府が築いた四鎮守府(海軍の本拠地)のひとつで、横須賀市、呉市(広島県)、舞鶴市(京都府)とともに文化庁の日本遺産に認定されている。

日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃滅した、東郷平八郎司令長官率いる連合艦隊が凱旋入港したのは、佐世保鎮守府があった佐世保港である。 …続きを読む

墨田緊急用船着場

国交省は、大地震などの発生時に備え、荒川に「墨田緊急用船着場」(墨田区墨田5丁目地先、首都高6号線から500m下流)と「臨海緊急用船着場」(江戸川区、河口近く)を完成させ、12日、墨田で合同の竣工式を行った。

私は来賓として「10年前に国交副大臣として災害対策に携わった時から、『地震で道路が寸断される事態に備え、荒川の墨田区部分に早く船着場を作り、平時から訓練を行うことが必要』と主張してきたが、やっと出来上がり、感無量です。地震の時に支援物資を運ぶ船などは政府が用意しますが、けが人やここまで歩いてこられる人工透析が必要な方などを病院に運ぶ船は区が用意しなくてはなりません。ぜひ墨田区で遊覧船などと災害時に向けた契約を進めて欲しいです」と挨拶した。 …続きを読む

ロシア国会議員団とごみ処理問題について会談

ロシアの訪日国会議員団5人が4月中旬、衆議院環境委員長室に私を表敬訪問した。「ごみ処理問題」をテーマに1時間あまり会談した。

ロシアではほとんどのゴミを焼却もせずに土に埋めているという状況だ。訪問団は日本の進んだ制度や、ごみ処理に関する法律について知りたがった。

2016年の日露首脳会談で日本とロシアが合意した8項目の協力プランの一環として、環境省はこれまでモスクワ市・モスクワ州に対し、昭和40年代以降の「夢の島ごみ戦争」など、ゴミ問題を苦労して乗り越えた東京の清掃事業の歴史や仕組みなどに関し、情報を提供してきた。 …続きを読む

                                             

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