墨田区軟式野球連盟・少年野球連盟合同の創立70年記念祝賀会が27日開かれ、少年野球連盟顧問として出席した。また、記念誌に次のような一文を寄せた。
永遠なれ!墨田の野球
70周年おめでとうございます。
墨田区少年野球連盟の顧問を務めて約20年になります。
区内のあちこちで、ユニフォーム姿の自転車の集団から大声で「松島さーん」と声をかけられたり、盆踊りや初詣で出会った少年、青年と「中学まで野球やってました」「どこのチームだったの?」と会話が弾んだり。楽しい思いをさせていただいています。
私も国政の立場から、いろいろ支援してまいりました。荒川河川敷の野球場のトイレを10数年前に水洗式に切り替え、さらに年月がたって老朽化したトイレをきれいなのに作り替えたり、外野の草を刈り取ってもらったり。
また、子供たちが横断する堤防下の道をスピードを出して走るサイクリング車が危険なので、荒川下流河川事務所に要請して、路面に「時速20キロ以下」のペインティングをしたり、ボールを追いかけて事故にならないようネットを設置したり、と。
少年野球の指導者や審判員の皆さんが、とにかく「墨田の子供たちのために」と必死なのに心を打たれて動きました。
自分の休日をよその子供たちのために使う。グラウンドの状況を気にして朝早くから集まり整備する。子供たちの投打走の技術面だけでなく、挨拶の仕方や精神面の強化、体調や、子ども同士の人間関係にも気を配る。頭が下がります。その思いを反映し、納会でのチーム同士の舌戦の熱いこと!微笑ましい光景です。
近年は、少子化や人気スポーツの多様化もあり、勝敗以前に部員確保とチームの維持も重要な課題とりました。「僕ら、子どもらに遊んでもらっている。野球やる子がいなくなると、僕らも困っちゃう」と連盟関係者らが話すのを聞き、なるほどとうなずきました。「野球大好き子ども大好き」の大人男子が、私にはいとおしく感じられます。
あるチームの納会で印象に残った言葉--「お母さんはあなたのファン1号なんだから」。中学3年間を振り返る映像とともに流されました。温かい気持ちと同時に、羨ましさでいっぱいになりました。
私は東大応援部でバトン(チア)をやって神宮球場に通い詰め、朝日新聞記者になってからは新任の宮崎支局で高校野球も担当、夏と春の甲子園で県代表チームの取材をした経験を持ちます。
その頃、「将来、男の子ができたら野球をやらせたい」と夢見ていました。その後、結婚にはこぎつけましたが、子供を持たないままで、この夢は実現できませんでした。しかし、女の子も野球をやれる時代になり、私自身は20年にわたり墨田の男女の野球少年たちを眺めて、幸せを感じています。
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