天皇陛下御在位三十年記念式典が2月24日、天皇皇后両陛下をお迎えし国立劇場で挙行された。天皇陛下の真心のこもった、かなり長い「おことば」に、涙があふれた。
特に印象的だったのが2ヶ所。
「天皇として即位して以来、今日まで、日々、国の安寧と人々の幸せを祈り、象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました。
しかし、憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、さらに次の時代と、象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています」と語られた。
「象徴天皇」に即位された「初代」として、考え、悩み、行動し続けられた日々だったのだろう。まさに常人ではなし得ないこと。そしてなお、終わりとせず、次世代に託される。感動で胸が痛くなる思いがした。
もう1ヶ所は、皇后陛下と語り合いながら「国民とともにある」道を歩んでこられたことがわかるくだり。
「平成が始まってまもなく、皇后は感慨のこもった一首の歌を記しています」と紹介されたのが、
「ともどもに/平らけき代を/築かむと/諸人(もろひと)のことば/国うちに充(み)つ」
続けて、こう述べられた。
「平成は昭和天皇の崩御とともに、深い悲しみに沈む諒闇(りょうあん)の中に歩みを始めました。そのような時でしたから、この歌にある『ことば』は決して声高に語られたものではありませんでした。
しかし、この頃、全国各地より寄せられた『私たちも皇室とともに平和な日本を作っていく』という、静かな中にも決意に満ちた言葉を、私どもは今も大切に心にとどめています」と。
だからこそ、お二人で長きにわたり、そして高齢になられても、戦地巡礼の慰霊の旅を続けられ、それは、時に、我々からは過酷とも思えるほどのものだったのだ。
この少し前、陛下は原稿の何枚かを落としかけられたように見受けた。隣の皇后陛下がさっと手を出され、素早く原稿を整え、続けて読むべきくだりを示された。御夫婦という以上に、長年にわたる同志というか秘書官長というか、そういう感じだった。
おことばの後、安倍総理の発声で万歳三唱。
両陛下は壇上から去り際、しばらく立ち止まり、ゆっくり、手を振られた。私たちは拍手を続けた。涙が止まらなかった。
両陛下はこの後、ホールで、ボーイスカウト、ガールスカウトの代表から花束を受け取り、168人の団員に見送られて国立劇場を後にされた。
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