新紙幣のうち千円札に最も関心がある。尊敬する北里柴三郎に、我が地元墨田区に生きた葛飾北斎の浮世絵「神奈川沖浪裏」(かながわおき なみうら)。
明治から昭和初期にかけての細菌学者、北里柴三郎はドイツのコッホ研究所で破傷風血清療法を確立するなど実績をあげ、世界的に注目を浴びたのち、英米の大学や病院から破格の高給でスカウトされたが断り、結核など日本の伝染病をなくそうと帰国した。英国は、コッホ研究所、パスツール研究所(仏)に対抗して、「ケンブリッジ大学に細菌学研究所を新設する。その所長になってもらいたい」と北里を誘う熱心さだった。
ところが、帰国後は、文部省・東京帝大と対立し、しばらくは無職に近い状態だった。福沢諭吉が土地を提供するなど支援し、伝染病研究所(現在の東大医科学研究所)を設立。慶応大学医学部を創設し、日本医師会の生みの親でもある。
野口英世は、この伝染病研究所に在籍した後、米国に留学した。千円札では、野口英世が先だったが、実際は、野口が北里の弟子である。
北里柴三郎は第一回ノーベル生理医学賞(1901年)の候補に上がったが、残念ながら、ドイツ人の共同研究者だけが受賞した。
同賞を受賞した大村智・北里大学特別栄誉教授と、3年前、国会内で懇談した際、私が「北里柴三郎さんは私が尊敬する人なんです」と述べると、大村智さんは「私は北里研究所の名を高めたい一心でやってきたら、こんなこと(ノーベル賞受賞)になった」と笑顔だった。
私は、極東の弱小国だった日本が明治時代に大きく飛躍したのは、北里柴三郎のように、欧州留学で名を挙げた人材が、当時の欧州に比べると生活環境も経済的にも恵まれなかった祖国日本に帰り、自分の能力を生かして、国の発展に尽くしたためだと思っている。もちろん、新一万円札の渋沢栄一も、新五千円札の津田梅子も同じだ。
現在のアフリカなど途上国でも、ヨーロッパの大学に進む優秀な青年たちはいる。ところが、医師になって、ヨーロッパでの快適な生活を選び、発展が遅れ非衛生的な母国に戻らないケースが多い。彼らが、明治の日本人留学生たちのように、貧しく遅れた祖国を発展させるのだという気概に燃えれば、世界のどの国も発展できると思う。
私は13年前に外務大臣政務官を務めた頃から、ずっとそう考え、外務省職員たちにも話してきた。
なお、すみだ北斎美術館(墨田区亀沢)には、冨嶽三十六景 の「神奈川沖浪裏」の複製画が常用展示されている。
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