15日、全国戦没者追悼式(日本武道館)に参列した。和服姿の女性(広島県の小西照枝さん、74歳)が遺族代表として述べた追悼の言葉が印象に残った。
お父さんが8月14日、フィリピンのルソン島で亡くなった時、「兄が10歳、私は3歳」だった。「戦死広報を受け取った時の祖父、祖母、母の嘆きはたいへんなものでした。これから、たくさんの田んぼをどうしていけるのかと」。(私の推測だが)お父さんは出征してから短くても半年以上、ひょっとしたら何年もたっていただろうから、三歳の女の子はあまりよく覚えていない父の死より、一家の大黒柱を失った祖父母や母親の悲嘆ぶりの方が印象的だったのだろう。
さらに「のちに横田庄一さん、小野田寛郎さんが生きて戻って来た時、祖母は、息子が生きていてくれたなら、持っている全財産を投げ出しても迎えに行きたい、と悲しんだ」と振り返り、「私も大人になり子供を持って、息子を失った母親のつらさが理解できるようになりました」と話した。
私の亡父は昭和2年生まれで戦争に行かなかったギリギリの年代だ。もっとも、私は両親から空襲で逃げ回った体験を聞いた最後の世代だと思う。
父は長兄をニューギニア戦線で失った。飛行場建設中に爆撃を受けたらしいが遺骨は戻らなかったという。父が育った家には若い軍服姿の写真が飾られていたが、6人の子供の中で最も優秀だったという長男の死を祖母はどう受け止めていたのだろうか。私が20代の終わりに90歳で亡くなった祖母 はこの秋、三十三回忌を迎える。

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