
クラウドファンディングで1034人から約659万円を集めて改装費の一部に当てた銭湯「黄金湯」(こがねゆ)が墨田区太平4丁目に22日、再オープンする。
入口にはビアバーを併設。水風呂や麦飯石のサウナも備え、漫画家ほしよりこさんが銭湯っぽくない壁絵を描いた。近くにオールナイトの大黒湯も経営する新保卓也、朋子夫妻はこの夏、NHKにも取り上げられた。
黄金湯、大黒湯とも、錦糸町駅と東京スカイツリーの間にあり、両浴場は歩いて25分の距離。

クラウドファンディングのリターンとしては入浴券のほか、オリジナルのTシャツ、手ぬぐい、タオルなど。
これらに用いられているロゴのデザインなどは、東京藝大で博士号取得のデザイナー、高橋理子(ひろこ)武蔵野美術大学客員教授が手がけた。
Tokyo Tokyoのゆかた姿の動画など、和柄の個性があり、FENDIやCLINIQUEとコラボした商品も制作。墨田区業平にアトリエを持つ。

8月22日オープンの予定。午前10時から翌零時半まで。料金は公衆浴場の公定料金通り、大人470円、中学生370円、小学生180円など。
新保卓也さんは銭湯の三代目。祖父は新潟県から出てきて東京で浴場修行。店を任され独立した。(東京のお風呂屋さんにはこのパターンの新潟県ゆかりの人が実に多い)
卓也、朋子夫妻は結婚した時は別の仕事についていたが、「下町の銭湯の灯を消してはいけない」と家業につき、コロナ禍のもと、エネルギッシュに奮闘している。黄金湯の入る6階建てビルは自前なので、2階は簡易宿泊所の許可を取り、開設する予定だ。
特別定額給付金(10万円)を「無戸籍の人」にも給付するよう、森法相、高市総務相に私が訴え、実現したのだが、これを機に住民票さえ持っていなかった無戸籍者262人が法務局から「無戸籍者だが日本人として存在している」と区市町村に対して証明され、給付金を受けられることになった。(法務省がまとめた8月10日付けの数字)
7月までにすでに191人が受給済み。定額給付金の申し込みは今月末までの市区町村が多いので、まだの人は早く市区町村に相談してほしい。
無戸籍者とは、日本で生まれ育ったにもかかわらず、諸事情で出生届が出されず、戸籍のない人。
例えば、夫のDVに苦しんだ妻が姿を隠し、離婚できないまま他の男性の子を妊娠、出産したケースなどがある。
無戸籍者の中にも、就学などを機に住民票は持っているという人もいて、この人たちは総務省の一般ルートで給付を受けられる。
住民票も持たない無戸籍者に定額給付金を支給するための特別な対応として、本人から申し出を受けた区市町村が法務局に問い合わせ、法務局が把握している場合は、証明を出すことにした。
無戸籍の人の中には、過去に自治体などに相談して嫌な思いをした人も少なくない。生活の忙しさもあって2度と役所にはかかわりたくない、という場合もある。
しかし、「10万円もらえるなら、手続きに挑戦してみよう」という人も出てくるだろう。それがきっかけで、住民票を取得したり、さらに法務局や法テラスに相談して戸籍取得までがんばったりしてくれることを、私は4月以来、願ってきた。
実際、4月30日から8月10日までに法務局は新たに「住民票に記載がない無戸籍者」138名を把握することができた。また、この人たちとそれまで把握していた人と合わせて456人のうち8月10までに76人が住民票をもつことができた。今後、事務手続きが進めばもっと増えることになる。
また、このうち41人が、家裁に申し立てし、裁判手続きを経て、出生届を無事に出すことができ、戸籍を持つに至った。
お一人ずつの幸せが本当にうれしい。
明治神宮は今年11月、創建百年を迎える。その神宮内に昨年建てられた「明治神宮ミュージアム」(隈研吾氏の設計)で現代アート展が開催中だ。また、境内の鬱蒼と茂る木々の中に、現代アートの彫刻4体が設置されている。前代未聞のこと。2020東京オリンピック・パラリンピックに合わせた「日本博」の一環ゆえの展示だ。
現代アート展「紫幹翠葉(しかんすいよう)」では40人の現代アーティストが、明治神宮や鎮守の杜の風物にインスピレーションを得て制作した作品が並ぶ。
たとえば、「木々を背景にし、真正面からこちらを見つめるタヌキ」。明治神宮の自然にはタヌキも生息し、職員さんたちは4頭までは見分けがつくという。
「マンガチックな様々な色のカエルが44匹、縦横整然と並んでいるが、真中だけ(尊重するための)空間がある」絵など。また、ガラス張りの建物の中から見える木々を借景として取り込んだ絵も。30人の作家が描いた扇も壁いっぱいに並ぶ。
野外彫刻は名和晃平氏の白い鹿や三沢厚彦氏の白い虎など。ちなみに明治神宮の境内には銅像さえもなく、「えっ。こんなところにオブジェが!」と驚く。ミュージアムの目の前にある白い鹿以外は気づきにくいのが残念だ。
「禁足地」ながら、入り込んで虎に子どもを乗せて写真を撮るお父さんがいたり、私が出会った散歩中の近所の女性は「雨上がりは虎さんに落ち葉がたくさん付いていて可哀想だから、入っちゃいけないけど入って取ってあげるの」と話していた。
境内には、東日本大震災以降の地震、豪雨の被災地の花農家による「サンクスフラワー・プロジェクト」のコーナーもあり、8月は福島県の竹が展示されている。
終戦から75年。15日、全国戦没者追悼式に出席した。コロナ対策で例年の1割に規模を縮小し、広い日本武道館にわずか約500人。初めて2階の指定席で、隣とは2席空けてあった。
非戦闘員を含め約310万人が命を奪われ、軍民合わせて600万人余が外地に取り残される、むごい戦争だった。もちろん、日本軍も他国の多くの人を死なせた。
8月15日、昭和天皇がラジオ放送で終戦(ポツダム宣言受諾)を伝えたが、その後も悲劇は続いた。
ソ連は、終戦以降、日本領だった(一般国民も暮らしていた)南樺太や千島列島に上陸、軍隊を進め、殺りくを続けた。さらに軍人を中心に約60万人をシベリアやモンゴル、中央アジアに連行、抑留し、そのうち6万人がその地で亡くなった。
南方などの戦地でも、ジャングルに取り残された兵たちの多くが終戦の後、戦病死や餓死した。大陸からの引き揚げ途中に亡くなる人もいたし、中国では残留婦人や残留孤児の悲劇も生んだ。
読売新聞で今日まで15回続いた連載「戦後75年 終わらぬ夏」が格別よかったが、NHKの数々の特集番組を初め、今年8月の戦争に関する各社の報道は、非常に充実していたと思う。
90代の体験者たちが、「家族にもずっと黙ってきたが、今、言い残さなければ」とインタビューに答える様が胸をついた。
戦災孤児や原爆孤児として、飢えとともに同じ日本人からの差別に傷ついた人たちも、ほとんどが80歳を過ぎている。
この夏はできる限り、すべてのテレビ番組を見、新聞記事を読んでいる。

私が会長を務めるNPO法人日本バトントワリング協会主催の「第31回全日本バトン選手権大会」が13日、足立区総合スポーツセンターで開かれた。今年はコロナの影響で例年の3分の1の規模で、東京と埼玉だけの18チーム98人が参加。文部科学大臣賞と東京都オリンピックパラリンピック準備局長賞のトロフィーを競った。
役員や審査員、保護者はフェイスシールド、マスク、ビニール手袋という安全装備。選手たち(幼稚園から高校生)は演技の瞬間だけはマスクを外し、それ以外はマスク姿で会場の外で控えるという用心深さで臨んだ。
5種目あり、各演技は1分程度。バトンを2本使ったり、トスの間に側転したり、あるいは2人1組で演じるなどして競った。
私が東大応援部でバトントワリングを始めた時、明治大学の4年生として指導してもらった野口智子さんが同協会の理事長を務めている。この大会ではコロナや熱中症対策に尽力した。
昭和館(国の施設、九段)の「占領から独立までの軌跡 1945-1952」展が興味深かった。
コレラや発疹チフスなど伝染病を媒介するノミ、シラミを駆除するDDTを散布するための噴霧器も展示してあった。昭和21年に2万数千件発生した発疹チフスが翌年には200件余に大幅減少したそうだ。
結核予防のため未就学児にツベルクリン接種無料を呼びかけるポスターもあった。戦後の困難な時期にも日本の衛生観念は優れていたことがわかる。
昭和21年4月、戦後初の衆議院選挙が行われ、女性が初めて参政権を持った。「御婦人方、投票をお忘れなく」と書かれ、赤ちゃんを背負った着物姿の女性が投票券を握りしめているさまが描かれたポスターが展示されていた。この時の選挙では、女性が39人当選(定数466)した。
GHQによる検閲についての展示。被爆した永井隆博士の著作「長崎の鐘」は昭和21年に出来上がっていた。しかし、GHQが発刊を許さず、24年になり、「マニラ虐殺」という日本軍のマニラでの残虐行為をつづったものとセットで売り出す条件で、やっと許可された。
検閲は個人の手紙にまで及び、手紙を開封後また閉じるために用いられた米国製のセロハンテープが足りなくなり、日本のニチバンに作らせ、これがセロテープの誕生につながったという。
GHQの司令部が日比谷の第一生命ビルに置かれたことは有名だが、銀座松屋、東京宝塚劇場、聖路加病院など31の接収されたビルの位置が都心の地図に示され、GHQが使用していた時期の名称及び、現在のビル名も掲示してあった。
文部省の体育指導要綱の展示には「軍体式整列や『兵隊ごっこ』を禁じる」「籠球や排球はよい」とあった。
それぞれ「ろうきゅう」「はいきゅう」と読み、バスケットボール及びバレーボールを意味する。しかし、戦前の漢字表記だけでは一般客にわからない。「注釈が必要」と職員に指摘した。
終戦の翌年、全国中等学校優勝野球大会(現、全国高等学校野球選手権大会)が復活(この年は西宮球場)。8月15日(!)に行われた入場行進の写真(米国国立公文書館提供)があった。敗戦からわずか1年で全国大会を復活させるために奔走した先人の苦労を思う。
農地改革についてのわかりやすい「Q&A」もあった。長らく苦労してきた小作農の人たちは、どれほど喜んだことだろう。農林官僚たちの懸命な働きも評価したい。
上野駅の地下道に、戦災孤児たちが全国から集まった。その写真と、寒い時期には凍死する子も少なくなかったという記述は、いつ目にしても胸がつまる。
入場無料、9月6日まで。
外国籍の人や日本に帰化した人が、介護福祉国家試験を受験する際、試験時間を一般受験者の1.5倍に延長することが決まり、先月官報で告示された。墨田区で主に在日フィリピン人に日本語を教えている国際交流グループからの要望を厚労大臣に伝え、実現した。令和2年度試験(来年1月実施)から適用される。
日本で結婚し、在留資格を持つ外国籍の人や帰化した人の中には、日本語の「話す」「聞く」はうまくできても「読む」「書く」が苦手な人も多い。
経済連携協定(EPA)に基づく介護福祉士候補者(インドネシア、フィリピン、ベトナム)には、すでに平成24年から「ふりがな付き試験問題+試験時間の延長」の便宜を図っていた。それ以外の外国人たちにも私の要請で「ふりがな付き」を平成27年
度試験から選択できるようにし、今回、試験時間の延長も実現できた。
また、こうした女性は日本人の父親との間の子供を持つ人も多く、介護の定職を得ることが養育に役立つ。
一方、日本では介護職の人材不足が深刻化している。新しく外国から特定技能の資格で受け入れることにも熱心だが、すでに日本の生活環境に慣れて、日本語が話せる人に働いてもらうのは、より好ましいと思う。
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